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ゲーム音楽これを聴け!

わたしは いだいな ぶとうか。 うわさでは すでで くまを たおしたことになっておる。 しかし じつは てつのつめを つかって いたのだよ。 わっはっは。 ゲーム音楽とプログレ、ジャズロックが中心。ドールも始めました。うちのドールが勝手にツイッターで呟いたりしてますので、そちらもよろしく。

 

昔はやった替え歌 

まいにちまいにちぼくらは鉄観音
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Category: およげたいやきくん

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『およげたいやきくん』の私的解釈‐その壱 

以下、すべて私的解釈なので、作詞者の意図に反する箇所が多分に含まれていると思われます。
こんなのちげーよ、と思われたなら、それはあなたの解釈であり、私の解釈と違ってくるのは当然です。
なので、「一つの解釈」として、お楽しみ下さい。
要は、あんまりむきにならないでね
てことでシクヨロ。

以下、歌詞を子門真人風に表記。

ぅむゎいにちむゎいにち、ぼくらはてっぱんにょぉぅ?
うえでぇぃやかれて、ぃやになっちゃうぅぃよぅ?

僕らは、毎日毎日、鉄板の上で焼かれるという単純なことを繰り返している。もううんざりなんだ。

つまり、退屈な日常からの脱却を歌ったものである。

しかし、毎日毎日焼かれてとはどういうことか?
たいやきは一回焼いたらその後は食べられるわけで、毎日焼かれて嫌になる、という表現はおかしい。たいやきは、全てその日に「初めて焼かれる」わけで、「毎日焼かれて」は、たいやき個人の主張としてはおかしい。
つまり、この歌の主役のたいやきは「今まで焼かれて食べられてきた全てのたいやきたちの不平不満を代表して述べているのでは?」という推理が出来る。
歌詞の中にも「毎日毎日、ぼくらは?」とあるように、「ぼくらは」=「集団の代表の主張」であることを、最初に明記している。
集団の代表である意思がないならば、「ぼくは」という表現で足りるはずである。

しかしながら、その後の展開を考えると「毎日焼かれていやになっている」のは、どうやら主役のたいやきだけであるらしいことから(店から逃亡を謀ったのは主役のたいやき、ただ一匹だけである)、たいやき全体の不満を代弁しているとみせて、実は単なる自己中心的な不満だったのである。
「ぼくは焼かれて嫌になっている」が拡大し、「ぼくらは焼かれていやになっている」と、勝手に思い込んだのである。

「俺は焼かれるのが嫌なんだよ。なあ、みんなもそうだろ?今まで焼かれてきたやつらだって、みんなそう思ってるはずさ!」
という主張である。

だが、中には立派に焼き上げられて人間に食べられることを望むたいやきだっていたはずなのだ。

以上のことから、彼は自己中心的なたいやきであるといえる。

彼のたいやきくんは、退屈で単調な毎日から脱却しようと、自己中心的でありながらも、己の悲痛な主張を掲げ、外へ飛び出していく。
その姿は勇壮であり、悲壮でもある。
まるで、社会に反発する若者の姿ではないか。

つづく。

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