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ゲーム音楽これを聴け!

わたしは いだいな ぶとうか。 うわさでは すでで くまを たおしたことになっておる。 しかし じつは てつのつめを つかって いたのだよ。 わっはっは。 ゲーム音楽とプログレ、ジャズロックが中心。ドールも始めました。うちのドールが勝手にツイッターで呟いたりしてますので、そちらもよろしく。

 

ゲエムの思ひ出ぽろぽろ その2 

え~、今日は俺のゲームの思い出を語りたいと思います。

あなたの思い出のゲーム機はなんですか?
そこにはどんな思い出がありますか?

今回は、ゲーム機にまつわる思い出のお話。
当時のあなたの状況を懐かしみながら、お読み下さい。

ウチの初めてのゲーム機はこれ!とか、色々とコメントお待ちしております。もちろん、長文大歓迎です。

さて、私が生まれて初めてゲームをプレイしたのは、なんと3歳の時!
スーパー英才教育の賜物なのか、今でもゲームプレイはトリセツ一切見ずにプレイが基本です。もちろん、チュートリアルなんて全てすっ飛ばします。ストーリーとかセリフも全部飛ばします。要は敵を殴れればそれでいいのです。
なんか違うと思いますが、それでいいのです。

で、まあ3歳でイトーヨーカドーの屋上にあった筐体でゲームをプレイします。この時のことは何となく覚えていて、フォゾンと魔界村をよくやっていました。
とはいえ3歳児ですから、椅子に座ってプレイしていたわけではなく、立って背伸びをしてやっていたらしいです。
当時の女子高生がそれを見て「うわ~!この子本当にやってる!」とキャアキャア騒いでいたそうです。
今の俺にはそんな状況ありませんけどね!

それから小学生に入学してまもなく、ファミコンが我が家にきます。買ってくれたのはおばあちゃん。
私のおばあちゃんは新しもの好きだったので、なんと自分がプレイしたいから買ったという(笑)
それにファミコンが孫の家にあれば、「ファミコンやりたいから!」というのを口実に孫に会いに行ける!という策略でもあったようです。なんともかわいらしいおばあちゃんですが、おじいちゃんにとっては恐怖の対象だったようです。まあどこのウチもそうでしょうかね。

初めてのソフトはスーパーマリオ。定番ですね。これとセットです。
で、まあ当然友達の家にもファミコンがあって、ソフトの貸し借りをするわけですが、これがまたみんな個性的。
『必殺道場破り』だの『ファイティングロード』だの『キャプテンシルバー』(キャプテン”セイバー”じゃないですよ)だの、今では大概の人は知らないようなゲームを持っているやつもいれば、『ロックマン』『スパルタンX』『グラディウス』『ドラゴンクエスト』『ファイナルファンタジー』などの定番を持っているヤツもいましたね。
私が小学生の頃って、みんな直感でファミコンソフト買ってましたね。テレビCMとかゲーム雑誌で調べて買う、なんてことはやらなくて。
お誕生日やクリスマスの日にゲームソフトを売ってるお店に行って、これ面白そう!っていうようなヤツを買ってもらってました。いわゆるジャケ買いですね。しかし、それでとんでもない目に合うことが多かった。
代表的なのが『トランスフォーマーコンボイの謎』ですかね。『ロマンシア』を買って絶望した友人もいれば、友達が『スウィートホーム』を買って泣きながらプレイしてたとか。
でも当時はどのゲームもクソゲーだとは思わずに、みんな一生懸命にプレイしてました。だって年に何本も買えないんですから、そりゃあもうとりつかれたように遊び倒してました。だからいまだにゲームの音楽を覚えているんですよね。

ゲーム開始後、1秒で死ぬなんて別になんとも思いません。なので『カラテカ』だってクソゲーだなんて思ってませんでした。「ああ、こういうゲームなんだな」と思ってプレイしていただけです。
そんな中でも『たけしの挑戦状』だけは酷すぎましたけど。

まわりの誰もがファミコンをプレイしていた当時、一人だけファミコンを持っていなくて、なんとツインファミコンとPCエンジン所有という、結構ブルジョワなヤツがいました。
今回は、この彼のことを書こうと思います。もしあなたがあの時の彼だったら、コメント下さい。
って、絶対わからないよな~。まさか。
仮にAとしましょう。

Aの家は共働きなのか母子家庭だったのか、いつも両親がいませんでした。学童保育に行っていて、学校の友達と遊ぶ日も限られていました。
それでも私とは色々と趣味が合ったりして仲良くなり、Aの家に何度も遊びに行きました。
で、家に上がらせてもらったのですが、とにかく暗い!汚い!そして煙草臭い!という、結構酷い環境でした。
おまけにトイレは汲み取り式です。いわゆるボットン便所。怖かったですねえ。私の世代(1980年代生まれ)でこのトイレを経験してるって、結構珍しいですかね。
「何か飲む?」
と聞かれたので
「うん」
と答えると、出てきた飲み物はなんと。
ファイブミニ。
それって健康ドリンクじゃないの…?
子どもながらに「え…コレなの?」と思いました。
オロナミンCじゃなくて、ファイブミニです。普通のオレンジジュースとかカルピスとか、水出し麦茶じゃなくて「ファイブミニ」。
Aの生活環境が、なんとなくわかったような気がして、ちょっと切なかったです。
ちらっと冷蔵庫の中が見えたのですが、飲み物はそれ以外なかった様子でした。なので、彼が好んで飲んでいる、というわけじゃなくてそれしかないから飲んでいる、ということだったのだと思います。確か箱買いしてありましたね。
あと、ラップで包まれたおにぎりがあったような。
う~ん、切ないですねえ。

Aの部屋にはゲーム機とテレビ。そしてPCエンジンです。初めて見るPCエンジンに興奮を隠しきれない私でしたが、しかし気になってしまったのはその室内。
とにかく殺風景でした。記憶が確かなら、ゲーム機とテレビ以外、ほとんど何もなかったような。
で、ソフトが本体に既にささっていたのでプレイさせてもらったのですが、それが確か『ネクロスの要塞』でした。
当時、『ネクロスの要塞』の食玩があって、私も集めていました。温度で白く色が変わるという、よくわからない塩ビ人形です。
Aも好きだったようで、ダブっていたヤツを交換したりしてました。
ゲームの方は…確かいきなりバグって、ほとんどプレイ出来なかったような…。
他に何かゲームある?と言うと、彼はテレビの横にあるぬか漬けを作るポリバケツのような容器を開けました。
ゲームソフト、そこに入ってるんかい!と、これにも驚きました。
そこに、ゲームソフトとかネクロスの人形とか、色々ごちゃごちゃと入っていました。PCエンジンソフトもケース入りではなくて裸で入ってた気がします。
で、プレイしたのが『カトちゃんケンちゃん』。当時大人気でしたね。「カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ」。みんな大好きだったようですけど、私はあんまり好きじゃなかったです。かな~り下品でしたので。今じゃ放送できないでしょうね。
ゲームの方はとても面白くて、ファミコンの『高橋名人の冒険島』に何となく似てるゲームだな、と思いました。
その次にプレイさせてもらったのが『ジャッキーチェン』。これも当時、ズームイン朝か何かで本人が出て、宣伝してたと思います。私はファミコン版を持っていました。
他には何かプレイしたかな…。
確か『妖怪道中記』もあったかと。ファミコン版との音の違いに衝撃を受けましたねえ。これってゲーセンのあのまんまじゃん!ってびっくりしたのを覚えてます。

で、まあAの家にはちょくちょく遊びに行っていたのですが、たまに彼はNHKの幼児向けの人形劇を見たりしてたんですよ。それが小学生の自分には幼稚すぎて恥ずかしくて。彼は楽しく見ているんですけど…こんなの幼稚園児が見るものじゃん!って思って、何だか恥ずかしかった。
今にして思えば、そういう番組って本当は母親と一緒に見るもののはずだよな…と。きっと、もっと小さい時からAはずっと一人で過ごすことが多くて、そういう幼児向けの番組を誰かと一緒に見ることもなかったのでしょう。
ああ。切ないですねえ。
だからといってAは暗いガキだったわけでもなく、霊幻道士やデブゴンやジャッキーチェンが大好きで、私とよくマネをしてははしゃいでいました。深夜にやってたよくわからないカンフー映画の話で盛り上がったりして。
あ。
でも今思えば、みんなで一緒に遊ぶってことはあんまり無かったかな…。
私は大人数で外で野球やったりしてましたけど、イヤでしたね。群れるのが当時から嫌いで。だからといって、終始孤独だったわけでもなく、まあ無難にみんなと付き合ってましたね。
Aもそういう傾向だったのかな…。だから気が合って、「みんな」じゃなくて「私と」遊んでいたのかも。
で、たまにAの家の居間でテレビを見たりしてたのですが、その居間が凄い。
常にカーテン締め切りで暗くて、洗濯物がそこらじゅうに散らばってました。コタツも一年中出しっぱなし。電化製品にはほこりがたかっていて、明らかに不衛生です。
そんな中でファイブミニを飲みながら、テレビを見たりしてましたね。不健康な小学生時代ですね(笑)。

で、一年間仲良く過ごしていたのですが、あっという間にAは転校してしまいました。おそらく親の仕事の都合でしょう。そうして、学校を転々としていたのだと思います。
どんな風に過ごしてからAと別れたのか、今ではもう全然覚えていません。どこに行ったのかもわかりません。
ただ、私はPCエンジンを見ると、今もAのことを思い出します。

Aには私以外にも、もう一人友達がいました。仮にBとします。
ただ、Bはかなりの問題児で、性格も悪く乱暴で、クラスメートに大怪我を負わせたこともあるようでした。見るからに悪そうな顔をしたガキでした。仲の良い友達もいなかったようでした。
仕方なくAとBと三人で遊んだこともありましたが…Bは上級生に媚びるヤツという、最低のヤロウでした。強いヤツにはヘコヘコするやつですね。
ある時そいつは、私とある上級生とがケンカをするように仕向けました。まあつまり、あいつ生意気だからやっちゃって下さい、みたいなもんでしょう。
めんどくさくてバカらしいので、私は一発蹴りをくれて帰りました。相手も所詮小学生ですから、たいしたことないです。
で、その内、Bは学校に来なくなりました。不登校です。理由はわかりません。
Aにとっては、そんな最低なBであっても一応は友達です。心配になったのか、私を誘ってBの家の前まで何度か行ったことがあります。
が、門は締め切り。誰もいない様子です。インターフォンを鳴らしても誰もでません。
どこかに出かけてるのかも、と思って雨の中、二人で様子を見ていたこともありましたね。
でも結局、誰も見ませんでした。
Bだけがいないならともかく、家族の誰一人として見かけない、というのも何だか不気味でしたね。そう言えば、Bの家族って一度も見たことがありませんでした。

その後、小学校を卒業する時になって卒業アルバムの写真にはBは載っていました。
あいつ、いたんだ!と、驚いたのを覚えています。他にもそう思っていた人は何人かいましたね。
で、中学生になって、Bは何度か学校に来ていたようでしたけど…やっぱりほとんど見かけることはありませんでした。卒業アルバムにいたかな…。それすら覚えていません。

PCエンジンを見ると、こういう思い出がぶわ~っと出てきます。
ゲームそのものだけじゃなくて、その周辺の思い出がよみがってきて、物凄くイヤな気分です。子どもの時代って、私にとっては思い出したくないことが山ほどある、暗黒の時代だったので。
それでも、こうやって記事に書こうと思ったのは…。
それだけ、時間が過ぎた、ということですかね。

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