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ゲーム音楽これを聴け!

わたしは いだいな ぶとうか。 うわさでは すでで くまを たおしたことになっておる。 しかし じつは てつのつめを つかって いたのだよ。 わっはっは。 ゲーム音楽とプログレ、ジャズロックが中心。ドールも始めました。うちのドールが勝手にツイッターで呟いたりしてますので、そちらもよろしく。

 

ファミコンの 時だけ正座 する息子 

その昔、何で見たのか全く覚えていませんが、今回のブログタイトルのような川柳があったことを記憶しています。
覚えている方、もしいらっしゃいましたらコメントをお願いします。

さて、我々はなぜ、ファミコンの時だけ正座をしていたのか。
これが今回の記事の内容ですので、非常にどうでもいいことをづらづらと書きます。

といっても、正座する人としない人がいました。
あなたは正座派でしたか?それともあぐら?女の子なら女の子座り(ぺちゃんこ座り)?

普段は小憎らしいクソ生意気な友人の妹が、女の子座りをしてドラゴンバスターⅡをやっているのを見ていて
「難しいからやってみせて!」
と言われて、私がすいすい進めていくと
「わあ、すごい!そうやってやるんだー!」
とはしゃいで喜んでいたのも良い思い出です。

女の子座りでファミコン、いいですよね(こう書くと変態くさいな)。
最近のゲームでもそうなんでしょうか。

正座したりあぐらかいたり、椅子に座ったりソファーに座ったり(ちなみに椅子やソファーに座っているヤツは金持ち)と、色々なタイプの人がいましたが、私は正座派でした。

なぜ正座か?

それは、

あぐらをかいて座っていると、足が段々と疲れてきて、足を組みかえると思いますが、その時についうっかりファミコン本体に足をぶつけてしまうから

なのだと思います。

あるいは、コントローラーを持ったまま足を組みかえると、ついコントローラーを引っ張ってしまう体勢になってしまうと思うのですが、その時にファミコンが短いコントローラーのケーブルに引っ張られてパア!

そういう事態も、そういえばありましたね(経験済み)。
正座でしたら、静かに足を動かす程度なので、衝撃が少ないのです。足がしびれてきたら、あるいはちょっと足を崩したりとか、なんか色っぽい座り方になっちゃってたりしましたね。
芸者か。お前はファミコン芸者か。Ⅱコンマイクで歌うのか。
実際歌ってましたけどね。あめふるしんかいちとか。
なので、正座には結構慣れてしまってましたね。ファミコンやらない子は、正座が苦手ですぐに足がしびれて立てなくなってたりしてましたね、そういえば。
正座が得意だったのは、剣道やってた子か、ファミコンやってる子でしたね。なんか対極に位置するような感じですけど。
私はファミコンで六三四の剣をやってましたので、剣道とファミコンと同時プレイです。

さて、ファミコン本体に衝撃を与える、という行為の恐ろしさは、ファミコン世代でないとわからない、とてつもない恐怖でしょう。
バッテリーバックアップソフトだったら、下手するとその一撃でセーブデータが吹き飛びます。たかだか一瞬で、今までの数日間、下手すれば数ヶ月間がパア!!
この地獄の苦しみは、味わった人でないとわかりません。そして、そこから這い上がってきたファミコン戦士は、今もなお、折れない心とくじけない精神を持ち合わせ、現代をたくましく生き抜いています。
ってか、そう信じています。
それが、真のファミ根性ですね。
その時に心が折れて
「もうやだ!すげーむかつく!めんどくさいから、他のゲームやろっと」
などと放り出してきた人は、この不屈の精神を持ち合わせてはおりません。
今、人生の挫折を味わい、自暴自棄になり自分の境遇を嘆き悲しみ、全て周囲や環境や人のせいにして逃げ続けている人は、この地獄のファミコン苦行を乗り越えてこなかった人であると、私は思います。
そういやあ、ファミコンジョーっていうファミコン漫画がありましたっけね。その漫画の中にファミ根性っていう言葉が出てきてたかと。

しかしまあ、やっぱり一瞬で全てパアにはしたくないですよね。
なので、ファミコン様を大事に大事に扱うべく、正座でプレイしていたのです。

部屋を掃除しに来た母親の掃除機、というかなりの曲者もいて、うっかり掃除機をファミコンにぶつけようものなら、一発でパア!
「あ、ごめん、ぶつけちゃった?あはは」
と笑顔で軽く流されますが、やられたこっちは号泣です。
「ふっざけんな!!俺がどんだけ苦労して血のにじむような毎日を繰り返してあ~だこーだ」
「たかがファミコンじゃないの」
この言葉が出た瞬間に、血が逆流するという表現を多くの人が実感したことでしょう。
頭に血が上る、という激烈なる感情を抱いたのもこの時であったのでしょう。
殺意、という危険な感情を始めて抱いたのもこの時であったのでしょう。
「たかが」
私が「たかが」ファミコンにどれほどの情熱を注いだか、知るまい(ヨラン・ペールゼン風に)。

と、このように、ファミコンに衝撃を与えるという行為は、この世の終わりともいえる恐怖を誘発するとともに、大地を揺るがすような怒りの大激震と憤怒の形相が表出する行為でもあるのです。

でも、出来ればそういう状態になりたくないですよね?

だから、ファミコン様の前に正座をして、うやうやしくソフトの端子部に三回息を吹きかけて自らの魂を乗り移らせ、虚ろな目で無表情のまま淡々とゲームをプレイしていくのです。それは神に祈る巫女がトランス状態に入るのと同様の行為なのです。
その神聖な儀式を妨げるような
「ご飯よ~」
は、決して許されない言葉ではありますが、従わないとぶち殺されますので、RPGゲームだったら急いでセーブ出来る場所に戻り、泣く泣くリセットボタンを押しながら電源を切るのです。
しかし、下手に突っ走ってセーブ場所に戻ろうとすると、今絶対出会いたくないような敵がたくさん立ち塞がり、ボコボコにされますよね?
そして、苦労して倒して、あと少しでセーブ場所だからと、あせって回復も十分せずに敵が出ませんように!と祈りながら道を急いでいる時に限って、またもや今絶対会いたくないような敵がたくさん立ち塞がってゲームオーバーになりますよね?
そして、憂鬱な気持ちのまま、食卓につくのです。
女神転生Ⅱは、そういうゲームでした。
怒り狂う兄貴の姿を、私はほぼ毎日のように眺めては
「バカじゃね?」
と思ってくにおくんシリーズをプレイしていたりしました。
のちのち、自分で女神転生Ⅱをプレイして、兄の偉大さを知ったのは、言うまでもありません。
よくもまあこんなゲームを全て攻略したもんだ…と。
今でも、兄貴は女神転生Ⅱを裏ルートまで全てクリアしたことを、誇りに思っているそうです。
そして、いまだに「女神転生Ⅱは面白かったよな~」といったりしますが、じゃあ、もう一度女神転生Ⅱやりたい?と聞くと
無理。
という答えが当然のように返ってきます。
もう、あの地獄の日々は二度と味わいたくないようです。
つまり、女神転生Ⅱで最後に救われたのは人間達でも神様でも悪魔でもなく、プレイヤー自身だった、ということなのですね。

なんのこっちゃわからなくなってきましたが、つまり、我々がファミコンの時だけ正座していたのは

不慮の事故を防ぐため

ということなのだと思います。
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Category: ゲエムの思ひ出ぽろぽろ

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